"赤"の三題
"ボルドー・ルージュ"
夏ならともかく、空気のきんと張りつめてきた秋の夜にパジャマも着ないで、と諌めた
ら、強い目で射すくめてきた。
ベルベットの風合いという煽り文句のシーツは、何を考えたやらメーカーも、のボルド
ー・ルージュ。
ちあき
パチンコで取った、とそれをよこす悪友のセンスも恐ろしいけれど、ぐるんぐるんと喉
を鳴らしそうな様子でベッドに転がるこのひとも、充分怖い。
やっぱりソファのカバーにでもした方が、よかったんじゃないか?
刺激が――強すぎる。
こんなベッドで安らかに眠れるとはとても思えないのだが、このひとが使おう使おうと、
妙に乗り気だったので。
――挑発シテルンデスカ?
なんて言おうものなら、ますます目を怒らせそうだから、おとなしく、ベルベットの波
にじゃれるトランクス一丁の獣を眺めている。
まだ湿気を残した黒い髪は、床屋行きを二週逸しているとかで、日焼けが残ったままの
うなじにからむ。
肩から背中、なめらかに肌の下で動く筋肉の形がとても綺麗だ。
紅いワインの海で泳ぐ、若い獣。
入浴で暖められた肌にのぼった血の色が、シーツと混じり合う。肌の喜ぶ感触にうっと
りと細めた目、水底の魚鱗のきらめきのような光が走る――。
――挑発シテイマスネ。
うかつに手を出して、がぶりとやられる確率は、今のところ五分五分。
ふいん、と邪念のない素振りで、エアコンのスイッチを入れる。
さてシャワーでも、という風で、シャツのボタンをはずしながら浴室へ向かうポーズ。
じっとこちらを見つめている獣の目を吸い寄せて。
と、ナイトキャップ用にと、少し酒類を置いているサイドボードから、赤のヴィラ・ベ
ルエールを取り出し、ソムリエナイフで封を切る。たっぷりした輪郭のワイングラスを一
つ出し味を見た。
ボリュームはあるものの、酸が少なくなめらかだ。思ったよりクセがない。
この場面には、ちょっと御しにくい感じの苦みの残るような酒が似合ったのに。コポポ
…と注ぎ、かかげてみる。でも色はいい。深く重い赤。目を伏せてもう一度香りを味わう
と、
「オレにも」
とがった声。ちらりと見ると、あのひとは左腕で頬を支えて、横になったまま、ひらひ
らと右手でコール。
にっこりと笑い返して、グラスをかかげて―― 一気。
胃に落ちてゆきながら鼻腔へのぼってくる芳香。見知らぬ南仏の陽の匂い。ワインはゆ
っくり内側に広がる。
あ、と非難の混じった音をぶつけられたが、くすりと笑う。
もう一杯、ゆっくりと注いで再びかかげる。
じいっと注がれる視線。
あえて合わせずに、籐椅子にゆったりとかけて口元へ持っていく。
含みきったところで、グラスが乱暴に押しのけられて、狂暴な唇にとってかわる。
こぼさないように、なんて心配りはない――全くない凶悪な口づけ。口中の紅の酒をす
すりあげて、舌が暴れる。顎から胸へと幾筋もこぼれていく。獣の唇がそれを追って離れ
た。伝い落ちる滴を舌先に拾われて、ぞくりと身の内が跳ねたが、抑えこむ。
案の定、椅子に預けたままの腕に焦れたのか、唇が戻ってきた。両手の指が髪にからん
で、ぐいと仰向かされた。
乱暴で荒っぽくて――熱い口づけ。
彼らしい――これは駆け引きの混じらないキス。
焦らされるのは好きなくせに、と口元が笑ったのを気付かれた。気に入らない、と引き
出された舌を一瞬噛まれ、ひるんだところで唇がうなじへ滑った。もっとはっきり歯をた
てられて、うーむ、ネクタイできっちり締めてもシャツの襟では隠しきれない、などとよ
けいなことを考えていたら、ぐっと右から上体を押されて慌てる。
籐椅子のカーブに流されるように、ベッドに落ちて、うわ、とか何とか声がもれた。
のしかかってくる獣に、ついに降参して、その背に両の指先を置くと、息を荒げて真上
から見据えてくる。
頬から耳、首筋、胸まで上気させて、重なる身体全体で吠えだしそうだ。
余裕ありげなのが気に入らない?
ならば、と反転して、身体の位置を入れ替える。
耳元でゆっくりと言葉を選ぶ。
音の余韻まで計算して。
「…このシーツを使うのは、あなた付き、の時だけということで」
腕を絡め合うと、吐息は紅の香りで頬をかすめた。
紅のベルベット。
ボルドー・ルージュの夜――。
分かち合うひとのいる歓びに――乾杯!
ワインレッド・オーシャン
"赤葡萄酒色的大洋"
きもちいい。
幸せってのは、こういう時に使う言葉だ。
フロは気持ちよかった(寮の風呂は入った気がしない――というより、あまり利用でき
ない。たいてい部屋のシャワーだ――直江のやつのせいで)。
きゅーっとあけたビールもうまかった(直江は未だに何か言いたげな顔をする。オレは
もう二十一だっての。でも、そのカオが好きだ。…絶対言わねぇけど)。
最初、このシーツを見た時は、ぎょえ!?と思ったし、こんなもんよこした千秋のアホに呆
れたが、嫌そうな直江をいじめてみたくてベッドに広げた巨大なワインレッドの布は、べ
っちんとかベルベットとかに似せたものなんだとかで(直江が生真面目にメーカーの"お
ことば"を読んでくれた――そんな時でさえ、いい声ってのには参る)、すごく気持ちがい
い。
ベッドで泳いじまう。
あのじーさん猫のタビが芝の上でぐにぐにやってる時って、こういう気分なのか?
そうそう、今日は邪魔ネコもいない。
この頃、夜でも居座る時があるからな。あのでかい図体でこれ見よがしに直江に媚びる
ヤツを見てると、むかっとくる。
直江がまたヤツに甘い。
オレは猫好きじゃあるが、あの憎ったらジジイ猫とはどーにもソリが合わねーというこ
とに、直江はまだ気付かない。
オレとしても、そいつとの三角関係でイライラしてるなんて言えねーし(…何しろ三匹
ともオスだ…)
でも、ここには絶対あいつを乗せない。
ワインの色の海には二人だけでいい。
他のやつなんかいらない。
"赤玉"
・ ・
「おーい、どーした、あれ」
『は?』
・ ・
「あれあれ、赤玉〜」
鼻で笑う気配。
『ああ、お前、もうそんな年だったか』
「くわ!? やだね〜、男もとう立っちゃうと、そゆこと言う??」
けっと声を送って、
「やだやだ、おっさんはー。仰木に聞く、仰木に。いるんだろ? 週末だし」
今度は口元で笑ったのが伝わる。
『まだ寝ている』
「うっわ〜! なんか今の言い方サイアク!」
『言われなれている』
ちょっと言葉を失った。バカでした。嫌がらせのつもりで電話して、手放しののろけに
返り討ち。文字通り閉口。
・ ・ ・ ・ ・ ・
『で、そういう意味ではないとしたら、何なんだ?』
「イヤネ、ダカラネ、あれ、そっくりっしょ? 世の奥様方、御愛飲の…」
『ああ…、赤玉ポートワイン…今は赤玉スイートワイン、か』
「そーそー」
『世の奥様方、って、そりゃずいぶん前の世代だな…』
つぶやくように言って、笑い声。
『あのひとは気に入っているようだ』
「へーへー」
凶悪に無敵、つう感じ――。
「お前は?」
『あのひと付きなら、と週末だけだ』
「も…いい」
昔は可愛かったのにー、すっかりすれちゃってー、ってな気分よ、俺。
それでもこいつは直江なんだ。今の景虎は仰木、と呼ぶのがしっくりくるが。
電話の向こうで、ごにょごにょもう一つの声。と、見事な寝ぼけ声が、
『…誰?』
「お待たせしまして、ぐらい言えよ」
『…んだ』
ばりばり。頭掻いてんじゃねーって。
『…んで何?』
「感想を聞きたくてな、お前の大伯母ちゃんの愛する――であろう――赤玉に似たシーツ
の」
『あ…え?』
ちょいと声が裏返った。こいつはまだカワイイ。
「直江はな、お前が付いてる時は、申し分なく充分にありがたくハッピーに重宝してるそ
うだが?」
ぐわしゃん! 衝撃音の中、遠のく怒声。
『なっ何言ってんだ、おまえぇ〜〜〜…』
どたんばたん。ん〜、全く本当にとってもカワイイぜ。
電話が拾われる気配がないので、俺はくっくっと笑いつつ、切った。
さてさて、と強羅駅の山小屋に似た造りの駅舎を見上げる。一番近い酒屋で、赤玉スイ
ートワインを買って御訪問といくか。
特大のリボンの花で飾ったでかいサイズのをな!
了('02・11・30)
おーまーけー
おお、甘々だ!(と思う)
「猫の目〜」と同工異曲のようですが、こっ
ちの方が古いです。「水無月〜」で煮詰まって
た時、ヌキに走り書きしたもので、Nサイド、
Tサイド、Cサイド、まとめて一つですな。
間違ってもマリリン・モンロー様の有名な
あのピンナップを思い出さないで下され(…
って言っちゃってんじゃん)。
('03・4・3)