眠る刃
「んで、かたづいたんか、その美輪高の熱血剣道野郎は?」
「人聞きの悪い」
踊り場で友人を振り仰いで、橘義明は微笑した。
「勝手に勘違いして申しこんできただけだ。小峰と一緒にいた
から誤解されたんだろう」
「そらまー、小峰は顔知れてるよー?中坊ん時からここらの
剣道坊主の王者だからさ」
奥村は細身の身体の上のくせっ毛頭をくりくり揺らして、友
人に追いついた。一階へと降りながら言葉を継ぐ。
「だからって、隣にいたら誰でも剣道の達人てことになるかよ」
表情豊かな瞳が疑わしげに橘を見やる。
「…つまるとこ、ガンつけられたってこったろ?」
「大げさだ」
小さく肩をすくめた橘に、奥村はすねた。
「やだやだ、じじむさい達観坊主」
「坊主見習いだろう、お前も」
「あー、そーともさ。でもな橘」
あと二段というところで奥村が足を止めたので、橘は友人を
見上げる形になった。
「そういう”山よりも大きい猪は出んわいさ”な物言いは、ちと
控えんさい。小峰、珍しく熱くなってんだから。いつもは口重で
落ち着いて見える男が内側でカッカしてるのって、コワイっ
ちゅーか?」
「――インターハイか?」
奥村は手すりに寄りかかって、昇降口を眺めた。
「そーよー。今年は粒がそろってんもん。一年の香川がここ来て
ぐっと伸びたから団体戦も希望出たし…、あれ」
泳いだ奥村の目線につられ、橘も外を見る。職員駐車場で
あわてた空気がある、と思ったとたん、白いワゴンがグラウンド
の方へ向かって発進した。
「江木ちゃんの車だ。陸上部で何かあったんか?」
「いや、今日はスプリンクラーの修理で、グラウンドは使え
ないから休みのはずだ。体育館も床材の張り替えで同じくだし」
「じゃあ、武道場だけじゃんか」
奥村が友人のところまで降りようとした時、上の階から声が
ふってきた。
「奥村ー!!視聴覚の鍵あるかー?」
「え、今、職員室に持ってくとこだ」
「ちょと戻ってくれってさ!生徒会が映写機、返したいんだっ
てよ!」
しゃあねえなあ、とぼやくと奥村は階段を駆け上っていった。
多忙な友人に苦笑して、橘がまた昇降口の向うへ目をやると、
先ほどの江木教諭の白い車が校門を出ていくところだった。と、
剣道着姿の丈高い若者が下駄箱の列を抜けて、こちらへ上って
きた。
「橘!」
あきら
橘も体格はいい方だが、小峰輝は更にひと回り大きい。だが
均整が取れているのと、幼い頃から剣道をやっているのとで、
少しも大男の鈍重さは見当らない。彼の所作には、どこか品位
が感じられる。
しかし、今まっすぐに橘を見据えるまなざしには、普段露わ
にされることはなかった猛々しさが在る。
「どうした、小峰。部活は?」
「香川がケガしたんで中止だ」
橘は眉を寄せた。たったいま、有望株と聞いた一年生の名だ。
「アキレスを切った」
表情も変えず小峰は言葉を継いだ。
「橘、お前入らんか?今からでもお前なら間に合う」
めったにあることではないが――橘義明は驚いた。
「小峰…、何言って…。俺は素人だぞ、わかってるだろう」
「わかっているのは、そう言い張ってもお前が武道を知ってる
ってことだ!」
鋭い切り返しに橘は息を呑んだ。
「お前が隠しても――わかるんだ。こないだの美輪高の野末
だってそうだ。お前がそういうもの持ってるってこと、わかる
んだよ!強くなりたいってやつには!」
激しい物言いに橘はぐっと顎をひいた。奥村も言っていたが、
冗舌ではない分、小峰の言葉は重い。
「小峰…」
「そう、俺もだ」
小峰の口元が微かに笑んだ。ちらりと牙を見せるように。
「お前は必死で隠してる。霊感が強いって方は、もうあきら
めて周りの知るままにしてるけど、それだって怪しい。お前、
・
ほんとはもっと力があるんだ。で、そういう方じゃない純粋な
・
力もある」
小峰はぐいっと一歩近づいた。
「なんで隠してるんだ」
橘も目に力をこめる。
「…隠してるわけじゃない」
「だったら!それ俺に貸してくれ、橘!今、香川を欠いたら
インターハイに行けない!!」
橘はぐっと奥歯をかんだ。小峰のまっすぐな若さが息苦しか
った。
「橘」
「できない」
低い答えに小峰の身体が跳ねた。相手の胸元に指をかけた時、
瞳が結び合わされた。橘の目の底で暗いものが動いた。
小峰は小さく息をつくと一歩さがり、かすれた声ですまんと
つぶやいた。
苦し気な一瞥を残して、足早に校舎を出ていく。
「小峰があそこまで言うなんて相当だぞ」
静かな奥村の声が、橘の背にぶつかる。
「わかってる」
「それでもか」
沈黙の背に奥村は溜息をついた。
「そっかー…」
西陽が彼等の足元に届こうとしていた。
あとがき
幕間劇、というか単なる”シーン”だったんですが、
一応シメの一文を加えてみました。
3人の男の子(ぷ)が”いるだけ”の話ですね。
’02.7.14.
’03.6.16.改