文月の琥珀
3.重なる声
「ありがとー、真知ちゃん」
冴子叔母は真知の並べたシール容器の一つをあけると、ぽいっと小梅を口に
含んだ。
「んー、やっぱり沙都子義姉さんのは、おいしいっ!よろしく言っといて」
「はあい」
このざっくばらんで元気者の叔母を真知は好きだ。東京・梅が丘の滝口家に
は真知と同い年の雄登とまだ幼児の涼平という兄弟しかいないこともあって、
冴子も真知を可愛がってくれている。ここへ泊りがけで遊びに行くといえば、
親の許可は容易におりる。
七月二十三日の夕刻、K駅の南口。そこにいるためには…。
「おふくろ〜〜!」
リビングに入ってきた雄登がふが、と欠伸をかみ殺しながら、頭をかきむし
った。
「真知、友達に買物頼まれたんだと。俺もその近くに用事あるから、出るわ」
「あらま、来たとこでせわしい!」
冴子は目をぱちくりさせたが、疑う理由もないので、うんうんとうなづいた。
あまりにさっぱりとあっけらかんと作り事を並べた従兄に、真知はちょっと
・
驚いたが、ありがたいとも思った。ちらりと時計を見やる。三時。時が近づい
ている。それを確認するたび、心がちぢこまっていくような気がする。
義明叔父は朝早くウィンダムで出た。自転車を出そうとする真知に、送ろう
か?と笑った。夏の朝を背にして明るく笑った。帰りはどーすんのよー、と真
知も笑った。麗々しくお迎えきてくれるのー、今日はすぐ終わんのよー、と笑
顔で言ってやった。そしたら――叔父はわずかに困惑したような顔になった。
――『いや、今日は東京の方へ出るから…』
真知は、そのあとをきく前にペダルを踏み、こぎ出した――。
「きかないの?」
小田急線に乗って、ドア近くに陣取ったまま、外を見ている雄登が、ん?と
彼女を見る。
「きいたら答えるか?」
すい、と返った言葉に真知は口を開き、また閉じる。ずっと水泳を続けてい
るせいで、赤っぽくなっている髪をくしゃりとやりながら、雄登はにい、と笑
った。
「七月二十三日の午後五時、K駅南口、だっけか?まだ、それしかきいてな
いけどなー」
雄登は左手首のダイバーズウォッチに目を落とした。
「三時半。楽勝だね」
土曜日の小田急線上りの急行。そこそこに人のいる車内。でも誰もごく普通
の高校生二人、などに注意は払わない。例え、背の高いボーイッシュな少女が
唇をひきしめ、眉をよせても。しっかりした身体つきの少年が、小さくくっく
っと笑っても。
「終わってからで…いい?」
「ああ、いいけど…」
雄登のくすくす笑いが激しくなったのを、真知はむっと頬骨の上を赤くして
にらんだ。彼女は、そっと胸元で揺れる琥珀のしずくを左手の中に包みこんだ。
「おり、滝口ぃ!」
元気のいい声が、乗ってきた人々の間から二人にぶつかる。
「よう、倉石」
軽そうなふわふわしたくせっ毛の頭の少年が、ひらひらと手を振って近づい
てきたが、真知に気づいて大仰に驚いてみせる。
「従妹だ。よくあるパターンだけど」
雄登があっさりした紹介をしてくれたので、真知はとりあえず、その倉石と
いう少年が従兄と同じ美術大付属高の友と知ることができた。
「へえ、宇都宮…」
そう言いながら、倉石の目がすい、と真知の全身を眺め渡したので、ちょっ
と彼女は目をきつくした。だが、倉石は小作りな童顔をくしゃりとくずした。
「いいなあ、その琥珀の色。君にすごく似合ってる」
――『真知に似合うような…』
義明叔父の声が重なった。呪文のように。
「舌先軽々の倉ちゃん、と呼んでやろう」
「モデルさんをリラックスさせる話術は大事だよーん。お前も人物画やって
こうってんなら、見習えよ」
ごく当り前な少年二人の会話をききながら、真知は再びあの声――オウギと
名のった声を胸の中でくり返した。
――『…義明さん、は』――
何度も 何度も
――ああ… これも… 呪文だ…