早月の勾玉
2 それぞれの場所
色部からは、九州にいた時と同じく二日に一度、連絡があった。病院では高耶の方が携
帯を切っているので、いつのまにか彼が病院を出て、バイト先に向かう途中にある児童公
園にさしかかる頃、と決まってきた。相変わらず、各地の様子を見て飛び回っている色部
の明るいしゃべりっぷりは楽しかったが、高耶が本当に知りたいことについては、ほんの
ニ、三言ばかりだった。
よ
――彼は快くなっている。
自分から聞けばいいとわかっていた。もっと聞けばいい。どんなにつまらないことでも、
高耶が聞けば色部は答えてくれるにちがいない。
だが――どうしても高耶は聞けずにいた。
『そろそろ会いにいけば?』
五月も半ばを過ぎたある日の午後、星加家に電話をよこした綾子は直裁に言った。
『輝炎石も、もう吸収されちゃったでしょ?』
父親の容態がどう動くかわからないから、と高耶は答えた。千秋ならすぐに、逃げを打
ちやがって、と突っ込むところだろうが、おひとよしの綾子は真に受けた。
『そっか、仙台のお母さんも週末ごとに来てくれてるって言ったっけ? でもやっぱり美
弥ちゃんの側にいてあげないとねぇ』
本心から妹を案じてくれている彼女の声を、高耶は後ろめたいような気持ちで受け止め
た。
『大事にしたい、ってのが家族の基本ではあるよね。でも…』
何か少しぎこちなく間があいてから、彼女は、知り合いの話なんだけど、と切り出した。
『なんかね、スゴイの。お母さんとおばあさんが"献身的な賢母"の役を奪い合ってるって
感じなのよ、そこんち。
エリート街道まっしぐら〜!に育てたのに――えっと、ま、事故みたいなので、本人、
入院しちゃったりして、その間に勤め先の会社がぽしゃっちゃってさ。…でも、そんなの、
どうしようもないことじゃない? なのに病人の枕元で、なんてことだ、どうしたことだ
って二人でハイテンションで嘆きあうの。どちらがより貴方の不幸を悲しんでるか、見て
ちょうだいって、訳のわかんない競争でバチバチなのよ。あれじゃ、本人もたまったもん
じゃないわよ。あやまてる母性愛の土石流ってとこ!』
憤懣やるかたなし、という綾子の口ぶりに、高耶はただ呑みこまれて相槌を打った。
『それでいて、さすがにうんざりした本人がちょっと迷惑顔したら、二人して、そんなに
冷たい子だとは思わなかったって声をそろえてわめきだして、あげくの果てに、あたしが
そんなこと言わせてるんだろう、なんて、ヒス起こして掴みかかられちゃってさー!! こ
れには、あいつもキレて』
…あいつ?と高耶が首をひねったのと同時に、綾子の声が途切れる。と、あわてたよう
に早口で、
『ごめん、公衆、使ってるの。次の人、待ってるから。じゃあ、美弥ちゃん、気をつけた
げてね』
ぽんと言い切って、通話は終わった。どこか釈然としないまま、高耶も受話器を置いた
が、続いた電話に忙殺されて、それ以上深くは考えなかった。
小康状態というよりは、膠着状態に入りつつある。
回復の望みは見えてこない父親と壁越しに一時間を過したあと、高耶は足早に夜の道へ
出た。色部からの連絡のある日だった。
公園の入り口をニ、三歩入ったところで、高耶は驚いて足を止めた。
正面の街灯の光に照らされた砂場のふちに座っていた女性が、彼に微笑みかけながら立
ち上がった。その少し奥に立っていた千秋が、よっと右手を振った。コバルトグリーンの
パーカージャケットにベージュのチノパンツの彼女は、その千秋の肩にやっと届くか届か
ないかの背丈で、あわただしい短い再会の記憶の中の姿よりもっと小柄で若く見えた。
「よう早かったな」
千秋がひらひらと手を振り続ける。
「俺も今来たとこ」
「ごぶさたいたしました」
彼女が丁寧に頭を下げる。それで、やっと高耶も息をついた。
「ああ…。久しぶりだな、猪飼」
目を上げた猪飼が、もう一度にっこりと笑った。つられて高耶もぎこちない笑みを返し
て、二人に歩み寄った。
空の高いところで、風の音が響き雲が走る。
「…びっくりした。突然だな」
「ええ、色部殿が、前々から一度改めて御挨拶に伺うようにと言って下さっていたのです
けど…」
猪飼は困ったように、言葉をとぎらせた。高耶と千秋はちらっと目を見交わした。この
姿としての猪飼は、若い女性の外見には似合わない、泰然とした、という印象だっただけ
に可愛らしい困惑の表情が意外だった。
「ちょっと思いがけないことが起きまして」
彼女は高耶を見上げた。
「今朝早く、直江殿は宇都宮の御実家に戻られました」
高耶は目を見開いた。