早月の勾玉
終 章
白い小さな箱になった父を胸元に抱いて、高耶は数少ない会葬者に頭を下げた。譲はず
っと残っているつもりだったようだが、千秋――髪をきっちり後ろでまとめ、黒いタート
ルネックとジャケットの――に袖をひかれ、振り返りながら去って行った。
「ああ…、そういえば、あの方…」
ふと佐和子が、黒い服の人々を見送りながらつぶやいた。
「ほら、あなたと仙台に…。直江さんて方」
その名に、高耶ははっと肩を揺らした。
「あの少しあとに御手紙をくださったわ。あなたや美弥のことを色々教えて下さって…。
とても立派な御手跡で、細やかな…」
どうしていらっしゃるの?と問うてきた母に、高耶はこれまでになかった穏やかな様子
で答えた。
「体調を崩して静養中だって聞いてる」
大伯母・幸子と話していた美弥がこちらを見たのに気付いたが、高耶はさりげなく踵を
返した。
自分の上に広げられていた大きな翼。その名残りはこんな形で、その持ち主の不在を知
らしめる――。
昔ながらの静かな住宅地の一角に位置する星加の家は、やはり先日亡くなった大伯父が、
戦後、時折手を入れてきたものなので、古風な平屋の割りに、現代の使い勝手も合せ持っ
ている。玄関側が南向きなので、家自体は庭の奥に控えた形だ。夕風の中をここへ戻って
きたのは、今の主、幸子と佐和子、高耶、美弥の四人だけだった。その他の親族は、数年
前、故人が事業の失敗で多額の負債を負った時から縁が切れたも同じだったので、ほんの
数人が通夜にちらりと顔を出しただけだった。
一番先に、生垣の間の木の門扉を開いたところで、高耶は玄関にある白い物に目を留め
た。昔風の木の桟にすりガラスの引き戸の手前、御影石のたたきの上に白いバラの花束が
置いてある。高耶は骨箱を右胸にあずけ、左手でそれをそっと持ち上げた。銀色のリボン
で束ねられた中輪の清々しい花たちは、夕影の中で柔かい香りを漂わせる。
「どなたか、いらして下さったのかしらね」
佐和子が、骨箱をそっと高耶から受け取った。
「…ことづては? カードとか…」
高耶は小さく首を振った。幸子が、かちゃかちゃと鍵をあけて戸を開いた。今年七十歳
になるのだが、和装の喪服をぴしりと着付けた身のこなしは、きびきびとして美しい。
「丁度いい場所がありますよ。花器を取ってくるから、みんな座敷の方へ行っていてちょ
うだい」
幸子の促しを受けて家へ入った三人は、そのまま右の廊下へ折れて、一部屋突っ切り奥
の十二畳の座敷へ向かった。今年初めに畳を替えたというが、まだ青い香りがほのかにす
る。左手の書院棚に、仮の祭壇のつもりだろう、白い布がしつらえてある。遺影と骨箱、
位牌を母と美弥がおさめるのを見ていた高耶は、ふと隣の床の間に視線を移した。
昨夕とは掛け軸が変わっている。墨彩の山水画に替わって、そこにある絵は水浅葱の色
調の中に、きらきらと転げるような――。
「…勾玉?」
「え…? あ、ほんとだ」
美弥も立ち上がり、高耶の傍らへ来た。やや鈍いトーンに抑えた茜や青緑、菜の花色の
つるりとした勾玉が散らばっている図柄だった。
「きれい…。何だか楽しそうな色ね」
「そうね」
佐和子も肯定したところで、幸子が入ってきた。古瀬戸だろうか、深みのある紫黒色の
ごろんとした輪郭の花壺を掛け軸のすそ、床框の右手に据える。
「…玉たちが笑っているみたいでしょう」
幸子は脇にたばさんできた新聞紙を広げ、花鋏を置いた。
「勾玉は胎児の形が元だそうだよ。だから、今これを掛けるのは、こういう意味」
大伯母はいずまいを正して座ると、絵を見上げた。
「新しい生命になって帰ってきなさいな」
立ち尽くす高耶の右腕に、美弥が身体を寄せてきた。小さく息をついて――だが何も言
わなかった。
高耶は白いバラを胸元へ抱いた。そっと頬に触れるように優しい香りが立ちのぼる。思
い出して、と言うように。
――みんな『仰木高耶』が、あなたであったことに感謝している。
今、何も言わずに、この時間を分かち合っている人たち。
いつも胸の奥で、耳の底で繰り返す深い声。
(まるでこの勾玉のように――。
オレもおまえも、今また今生の家族に癒されている…。
…そうだろう?)
内側で響き続けるあの声に応えるように――。
高耶は小さくその名前を口にした。
早月が行こうとしている―――。
了('00・12・10)
いいわけ
この話では直江、31才になりました。めでたいです。
ほとんど出てません。淋しいです。すごくです。
高耶さんはまだ19才ですね。譲、かわいそうに留年です。
ま、一年ぐらい骨休めしたっていいさあ。
初めてミラ・パロを書いた時の橘真知、再び。でも前出
「文月の琥珀」は原作の超番外編に沿ったものでしたので、
こちらは設定を共有した別のパラレルと思って下さい。
どんどん私物化。義弘兄まで出ちゃったし(それを言うなら
仰木父の立場は…)。
今回は『家族』(前回は『妹』)。換生者にとって、家族
とは何か、ってまあ、そんなにえらそーなことは書いてま
せん。そうそう、義弘兄が直江を何と呼んでいるか、はな
かなか難問。『ヨシ』じゃ自分と同じだからねぇ。…という
ことで――文中のとおりにしてみました。